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<<   作成日時 : 2018/10/26 17:04   >>

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『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』
加藤茂孝
2013年
丸善出版株式会社

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「ものを怖がらなすぎたり、怖がりすぎるのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい」(寺田寅彦 随筆「小爆発二件」)
「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)

●天然痘
一万年前にはヒトの病気?
インド起源?
日本には仏教伝来の6世紀半ばに輸入されたとされる(552年または585年)

天然痘による失明は多かった。あばたとともに
日本に来たイエズス会のルイス・フロイトは、日本にはヨーロッパと比べて全盲者が多いことに注目している。
有名人: 独眼竜伊達政宗 など

藤原道長(966-1028)は二人の兄が天然痘で亡くなったため、栄華を極めることができた。(同世代の一族は天然痘で死亡)

エドワード・ジェンナー(1749-1823)
乳搾りの女性サラ・ネルムズにできた牛痘を近所のジェイムズ・フィリップスに最初に接種。次男への接種はその後。
小疱瘡と呼ばれる軽症の天然痘を最初に長男と2人の若い女性に接種している。
予防法の完成は1796年、論文は1798年。

知識は中国に1805年に伝わっている。この漢訳本が日本で出版されたのが1841年。
長崎出島で話が伝わっていたのは1803年
しかし痘苗がなかなかこなかった。
公式な最初の痘苗は1849年。
緒方洪庵(1810-1863)は適塾で種苗を行い、普及させた中心人物。1863に西洋医学所の頭取となったが病で急逝する。

天然痘が撲滅しやすかった理由
・感染すれば必ず発症し診断できる
・自然宿主がヒトに限られる
・効果的なワクチンが存在する

WHOの天然痘根絶の秘訣
1) ワクチンの品質保証
2) 患者周辺の免疫作戦
3) 患者発生国への無償援助

ジェンナーが種痘につかった牛痘は繰り返してつないだ。ワクシニアウイルス。もとの牛痘ウイルスとはかなり異なる。遺伝子の運び屋として現在は使われる。

1876-1955に消えるまでの統計に残る日本の致命率は27.2%。

最後の天然痘患者は1977年、ソマリアにて発症

橋爪株: 日本で開発された改良ワクチン。まれな脳炎などの重篤な副反応を抑えた。

●ペスト
1347-1353、ヨーロッパで史上最大規模で流行し全人口の1/3が死亡した

本来ネズミの感染症

ヨーロッパの最初の流行の記録は541。60年間流行を続けた。最盛期にはコンスタンチノープルで毎日5千〜1万人死んだ。

1032年、インドからペルシャに広がった流行があった。十字軍が感染クマネズミを持ち帰った。

14世紀はモンゴル軍がヨーロッパに広げた。1241ポーランド、1243ウクライナ〜ロシア・中央アジア北部、1258中東〜中央アジア南部。
ソレに先立ち中国で大流行。1333旱魃と飢饉、1334悪疫。これがペストだったと考えられている。

1348にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返した。
人がいなくなり、多くの社会体制が変革された。

1727年、ドブネズミが東から西へ大移動しているのが確認された。この後ヨーロッパにドブネズミが広がり、先住ネズミクマネズミが追い出され、ヒトと生活域が少しかわり発症が減った。

日本には1899に初めて侵入するもネズミを買い上げることで封じ込めに成功した。

デカメロンはペストからの逃避の物語。

当時医療行為を担っていた聖職者達もペストに対して全く無力だった。
→ 正統的な教会組織に対する幻滅の感情 → 個人的な宗教的熱情 → 宗教改革

ペスト菌を最初に発見した一人は北里柴三郎。そして、血清療法・破傷風菌の純粋培養
パリ・パスツール研究所のアレクサンダー・エルさんもほぼ同時に独自に派遣。

2600年以上前の中国が起源とされる


●ポリオ
日本は野外のポリオウイルスがなくなるという「根絶」を世界に先駆けて実現した。
1961年、日本ではポリオが社会的な問題になっていた。アメリカの不活化ワクチンか、ソ連の生ワクチンか。後者は安全性確認されておらず、冷戦もあった。それをおしての緊急輸入の効果だった。1300万人を越す小児に一斉投与。
1980年以降、野生株ウイルスによる発症患者はゼロ。

接種日を決めて全国的に一斉接種を施行する戦略はNIDs。
これ以後、ポリオ世界根絶計画のWHOの中心戦略

自然宿主はヒトだけ。
四肢すべてが麻痺するのは患者の3%。

医学的な記載は1840年が最初。
19世紀後半から20世紀前半にかけて大流行を起こすようになった。
日本には明治後期から流行がみられるようになった。ほぼ10年おきに大流行。1960年の北海道発、5606人が史上最大の大流行。


ポリオは感染者の0.1-1%しか麻痺症状を出さない。

ポリオには3つの型。2型は1999年を最後に根絶された。
感染症の根絶は平和な環境が確保されないと極めて困難。

「(日本)国は国産ワクチンを作るとしながら、規模の小さいメーカー任せにし続けた。無責任と避難されても仕方がない」
(開発時の平等主義・横並び主義と、国家としての明確なワクチン戦略がなかったことと。日本のメーカーは中小企業が多く産業基盤が弱い



参考の映画 『我一粒の麦なれど』


●結核
牛などの反芻動物からヒトに入ったと考えられている

日本で見つかった最古の結核患者 BC 300〜 AD 300の間の遺跡から脊椎カリエスで曲がった脊柱が2例。これ以前は見つかっていないので弥生人により持ち込まれたと考えられている。

明治初期の日本から英国への留学生は、英国で結核を得て、学半ばに帰国したり、亡くなったりするものが多かった。

サナトリウムの死亡率は低かった。非常に高価な場所だった。

感染者の大部分は症状を出さず、無症候性、潜伏感染が一般的。潜伏感染の1/10が最終的に発症する。

BCG: 牛型結核菌を弱毒化したもの
丸山ワクチン: ヒト型結核菌からタンパク質を除去した後、抽出したリポ多糖(LPS)を主成分とする

AIDSの最大の死因の一つは結核。


●麻疹(はしか)
戦後までは麻疹が多くの人の失明の原因となっていた

ウイルスは牛から

もがさ: 天然痘
赤もがさ: 麻疹

日本で間違いないとされる第一回目の麻疹の流行は998年。藤原道長の絶頂期。彼の一族はそれで死んでいく。

「痘瘡は見目定め、麻疹は命定め」(江戸時代)

異本の歴史資料では、天然痘の流行は15−20年、麻疹は25-30年。いずれも輸入感染症。江戸時代だけでも麻疹は13回大流行。中でも1862年には大被害で、アドだけでも239,862名の麻疹による死者が寺から報告されている。1858年の開国時のこれら大流行のわずか4年後。

1853関東大地震、1854下田地震、1855江戸大地震

(感想: 日本の鎖国は感染症から日本人を守るために有利だったのだな。漢方はその流行に手をこまねいていたことは認識すべし)

不活化ワクチンは免疫の持続が長くないので生ワクチンが必要。ウイルスの増殖を何世代にも亘ってくりかえし病原性を無くしていく。

麻疹後脳炎は1/1000に出現、1/数万〜10万にSSPE

日本のパルボワクチンは無菌性髄膜炎の出現率が米国よりも高かった、つまり弱毒化が不十分だった。そのためMMRワクチン騒動につながった。

水痘ワクチンは日本人が1974年に開発した世界に1種類しかない弱毒ワクチン。開発国の日本で使われることは少なく、米国ではMMRVとして90%以上の幼児に接種されている。

米国は、ワクチンを打たない、入学禁止には宗教のこともあり禁止はできないが、感染した場合の責任は確認させられる


ポリオのようにRNAでもプラス扇子であればそのまま遺伝子RNAを細胞に入れれば感染性が発現されてウイルス粒子が作られる。そのRNAをDNAに逆転者すれば、突然変異を自由に組み入れることができる。
マイナスセンスRNAは、一度マイナス鎖をプラス鎖にする過程が入るので研究者は皆苦労していた。

「2度なし病」 免疫がある程度減少してくると、症状は出さないが感染していることがある。一定間隔の流行がアレアこのブースターを繰り返し高い抗体価を生涯維持していた。
ワクチン接種により流行を小さくしたり無くしたりするとブースターはかからなくなる。

麻疹ウイルスの感染力は強いので、感染を逃れて成人するのは極めてまれである。


●風疹
発疹などの症状が麻疹に比べて3日と短い
宿主はヒトしか知られていない。

かつて。男女の全幼児に接種するという米国方式、女子中学生にのみ接種するという英国・日本方式。10年後には、米国ではCRSがゼロに近くなった。英国・日本では患者数は少し減っても、流行の主体である幼児は野放しだったので、流行はそれ以前のように周期的に起こり、CRSも減っても続いた。

風疹は、北半球では春先に流行する。かつては5年程度の感覚で全国規模の流行が繰り返された。小児へのワクチン接種によって散発的に成っている。

一般にワクチンが小児に普及すると患者年齢が上昇する。不十分な接種率では、流行も完全には抑えていないので、風疹の場合には妊婦感染の機会もかえって増えることが起こりうる。ギリシャでは1994年に、ワクチン導入前よりもCRSが増える悲劇が起こった。

接種してから妊娠がわかったような、誤ってのワクチン接種が800例報告されているが、CRSを生じた例はない。風疹ワクチンは生ワクチンであるが、CRSを起こさないほど十分に弱毒されている

感染約14日後に語る症状、発熱、発疹、リンパ節腫脹(耳介部など)。発疹は3日程度と短く出ないことも多い。血小板減少性紫斑病(1/3000-5000)や急性脳炎(1/4000-6000)などの合併症もあるが、これらを含めて一般に予後は良好。

CRS。目の障害は羊水からの直接侵入といされる。開口部分が閉鎖されると発生しなくなるため。

日本のCRSは発症率がひくいとかつてはされていたが、不十分な調査からだった。

現在では感染症に拠る先天性難聴の最大の原因はCMVで20%とされている


●インフルエンザ
中国では感冒とよばれ遅くとも1304年以前に日本に入ってきた言葉。

インフルエンザのパンデミックの条件は、人口の密集・迅速な交通手段

BC 430-427年のアテネの疫病ツキジデス Thuchydidesはインフルエンザではないかとの説、1985 Langmuir

平安・鎌倉時代には しはぶき(咳逆) とよばれた。遅くとも奈良時代に「しはぶき」はあった。

『三代実録』(901年成書) 862-864のパンデミックインフルエンザの記録
『医心方』(984成書)にもしはぶき(咳逆)・しはぶきやみ(咳逆疫)の記載あり

ウイルスが細胞に感染する時にHAを使い、細胞から出る時にNAを使う。
Bは大きくはヒトのみに流行。Cも。

ヒトの肺の奥の一部に鳥型のレセプターを持った細胞が見つかった。鳥の糞の糞あm津を吸い込むような環境にある人に鳥インフルは患者が多くなる。

ベトナム・インドネシア・エジプト・中国は、鳥にワクチンの接種しているために流行が10年も持続していると言われ、ワクチンは停止された。

1918年3月にアメリカで始まったスペイン風邪。


●ウエストナイルウイルス
アレクサンダー大王の死因?

黄熱ウイルスは1927年に初めて分離。その研究過程でWNウイルスは分離された。

フラビウイルス科フラビウイルス属:
デングウイルス、日本脳炎ウイルス、ダニ媒介性脳炎ウイルス、黄熱ウイルス
日本脳炎ウイルスグループ: 
WNウイルス、SLEウイルス、日本脳炎ウイルス、マレーバレーウイルス、クンジンウイルス

80%は症状が現れない

●補
WHO: 会議運営能力の高さ、効率の良さ。会議目的の設定、事前の準備、まとめの素晴らしさ。

「たとえ明日、主の再臨があろうとも、今日私はりんごの木を植えよう」(マルチン・ルター)
→「たとえ明日、世界の終わりが来ようとも、私は今日りんごの木を植えよう」

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